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ウイリアム・ブロード、ニコラス・ウェイド、牧野賢治[訳] (2014)『背信の科学者たち-論文捏造はなぜ繰り返されるのか?』読了

現在の職場に移って間もない頃、「研究倫理啓蒙活動」という(学内で大学院の教員を対象とする)研修を受けました。その後、論文に関してもう少し詳しく知りたいと思い、この本を手にとりました。原著(Betrayers of the Truth, 1982)は随分昔(40年前)のものです。研究分野(社会科学ではなく自然科学なので)異なります。しかし(昔も今も変わらない)本質を理解するには十分でした。結局は研究者の良心にかかっていることが良く分かりました。論文捏造を防ぐ手立てとして、例えば査読制度があります。これについて、次のように述べています(328)。「そもそも論文審査の主目的はミスコンダクトの発見ではない。ミスコンダクトはないとして、論文内容を評価するのである。しかし、ミスコンダクトが少なくないとなると、今後はそれにも充分注意しなければいけないのではないか。懐疑心を存分に働かせないといけなくなっている。」査読者の(本来の)役割をミスコンダクトがない前提での内容評価とすると、査読者に捏造を見抜けというのは(やや)筋違いでしょうか。となると、やはり研究者一人一人が良心を持ち続けるしかないように思います。これを会計監査に引き寄せると、(同様の趣旨で)次のように言えるのではないでしょうか。会計監査の主目的は不正の発見ではありません。二重責任の原則に基づき、経営者が整備・運用する内部統制に依拠しつつ、経営者が作成する財務諸表に対して合理的な保証を与えられるかどうかという評価です。ところが財務諸表の不正が少なくないとなると、不正の発見にも注意を払わなければなりません。そのため、より一層の倫理観と職業的懐疑心が求められます。さらに(来の目的ではない)不正発見に対する(社会の)期待と(社会的)責任を背負うことになります。会計監査にこういった役割まで求めることが適切かどうか、二重責任の原則に立ち戻って考える必要があるように思います。