· 

カズオ・イシグロ、土屋政雄[訳] (2021)『クララとお日さま(Klara and the Sun)』読了

この物語は、AF(Artificial Friend)と呼ばれるAI(Artificial Intelligence)ロボットのクララが、ジョジーという少女と出会ってから別れるまでを描いた作品です。物語は、クララの目線で進行します。クララは、ジョジーと出会って一緒に暮らし始めた頃、何も知りませでした。しかし時を重ねるにつれて、科学技術の発達によって様々な「格差」が広がる人間社会を知ることになります。クララ自身も最新型のB3型ではありません。少し古いB2型です。しかしクララは、最新型ではないことによる「格差」から生じる「孤立」を深める代わりに、持ち前の観察力と学習意欲によって、見るもの聞くもの全てを吸収していきます。そして自らの強い太陽への信仰によって、病弱なジョジーの健康を回復させます。その結果、ジョジーは大学への進学が可能になりました。ここでクララは、AFとしての役割を終え、ジョジーと別れます。最終第6部の「廃品置場」におけるクララの回想シーンは印象的でした。そこでは、使いたいときに使いたいように使い、用が済んだら「廃品置場」へ(AIを)廃棄する人間と、AFとしての使命を果たし満足感に満ちた(AIである)クララのどちらが人間的か問われているようにも感じました。筆者は、以前読んだ(といっても10年以上前ですが)『私を離さないで(Never Let Me Go)』では、クローン人間を取り上げています。どちらも、(AFとクローン人間を通して)科学技術の発達により「格差」が広がり「孤立」を深めていく人間の姿を描いています。今回も色々なことを考えさせられました。