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山本博文[監修] (2017)『明治の金勘定』読了

以前(といっても1年以上前ですが)、『江戸の銭勘定』を読みました。本書はその続編です。日清戦争後の明治30年(1897年)を軸とした、様々なモノの値段が紹介されています。一般に、西洋から渡来したモノの値段は高く-アイスクリーム15銭(約3,000円)、自転車200円(約400万円)、外国人技師の年収数千万円など-、総理大臣の年棒も12,000円(約2億4,000万円)と現在を上回っていました。これに対して、江戸時代から引き継がれたモノの値段は安く、例えば相撲観覧料は、現在とぼぼ同じ水準でした。当時の「西洋指向」がうかがえます。またトリビアも豊富です。一部をご紹介します。①海軍は、艦内で決まった曜日にカレーを出し、航海で曜日感覚がなくなることを防いでいる[49頁]。②日本で最初にラーメンを食べたのは、徳川光圀(水戸黄門)とされる(52頁)。③アラビアの医師ラーゼスの記録に、乾燥したコーヒーの実を砕いて水に浸して煎じ医薬にしたとあり、当初(コーヒー)は薬として飲まれていたようだ[56頁]。④ラムネは、イギリスからもたらされた「レモネード」がなまったものだが、日本では炭酸飲料である[58頁]。⑤サイダーは、リンゴを発酵させて造るアルコール飲料のフランス語「シードル」が語源で、本来は発泡性であることも多い[59頁]。⑥イワシは、貴族が食べない卑しい食べ物として「いやし」と名づけられたという説も[64頁]。⑦郵便マークの「〒」は、榎本武揚が通信大臣当時に会計職員に考案させ、逓信省の「テ」をデザインしたものだ[85頁]。⑧背広の語源は、シビリアン(市民)が訛ったという説と、スーツ発祥の地ロンドンの仕立て屋街「サビル・ロウ」が訛ったという説がある[86頁]。⑨化粧石鹸は「顔石鹸」と呼ばれていたので、長瀬はそれをもじって社名を「花王」とし、高級化粧石鹸を売り出した[92頁]。⑩銀座は文字通り、幕府の銀貨を造る「銀座」が置かれ、両替商が多く集まったので両替町と呼ばれていた[134頁]。あれこれ想像しながら、楽しく読むことが出来ました。