· 

福井義高(2021)『たかが会計-資本コスト、コーポレートガバナンスの新常識-』読了

円谷(2018)(2023)が記憶に残る中、副題の「資本コスト、コーポレートガバナンスの新常識」に惹かれ(1)、本書を手に取りました。大変興味深い1冊でした(2)

第1に、資本コストに関する、「会計基準をめぐる議論では、将来(期待)キャッシュフロー増加と資産価値上昇が短絡的に(ホントは深謀遠慮があるのかな)結びつけられているけれども、それは資本コストが一定で変化しないという前提でのみ成り立つ議論である。」(p.14)という指摘は新鮮でした。確かに、経済環境の変化が早く大きい現代では、企業の戦略やポートフォリオもそれに合わせて組み替えられている(はずだ)からです。

第2に、コーポレートガバナンスに関する、「昨今のコーポレートガバナンスをめぐる議論は、企業のオーナーあるいはプリンシパルである株主が、性悪説に基づいてエージェントである経営者を管理監督するという構図で行われることが多い。」(p.86)という見立ては腹落ちしました。素朴に考えて、経営者ほど会社のことを考えている人はいないでしょうし、全ての経営者を「性悪説」で一括りにすることはできないからです(3)。この点、筆者は、社外取締役に関して批判的な立場です(4)。しかし、「企業が独自の判断で社外取締役を選任することに反対しているのではなく、根拠もなし強制することに疑問を呈して」(p.98)おられます。今後の企業の取り組みを見守りたいと思います。

(1)タイトルの「たかが会計」については、「市場競争は怠惰な経営者を許しはしない」「市場規律論」(p.133)の文脈で、「「ハードな予算制約」hard budget constraint)があってこそ、市場競争は経営者に規律を与えることができ」(p.134)、「「たかが会計」に基づく「赤字はまずい」という感覚が人為を超えた第二の自然と化している」と述べられている。

(2)資本コストおよびコーポレートガバナンスに関連して、①ストック価格=期待フロー÷資本コスト、②変化するのはキャッシュフローではなく資本コスト、③借方で決まる資本コスト、④新たな投資を行うに際して資産構成変更前のハードルレートを基準に用いることは、経営者の判断を誤らせることにつながるのみならず経済全体にダメージを与えかねない、⑤全員を平均以上にはできない、⑥主役は最適化ではなく予算制約といったtipsも得た。

(3)例えば、「経営者は投資家と違い、自らの経営能力を分散投資できないので、経営している企業が倒産すれば、人的資産(資本)の大半を失ってしまう。したがって、経営者が長期的観点から生存最大化を選ぶことは当然であろう。実験結果もこの人情を裏づけている。」(p.165)。

(4)例えば、「経営者というエージェントに、独立社外取締役という別のエージェントを加えると、なぜエージェンシー問題が改善されるのか。自分の利益を優先させる経営者(社内取締役)と違って、なぜ社外取締役は自らの利益を犠牲にしてでも、株主利益最大化に努めると期待できるのか。」(p.97)。