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前田裕之(2023)『データにのまれる経済学 うすれゆく理論信仰』読了

筆者はライターです。研究者ではありません。しかし筆者は、綿密な取材に基づき執筆しています。したがって研究者による学術書とは異なる視点で、最近の経済学の動向を知ることができました。

筆者は、先ずデータから因果関係を読み取るアプローチが欧米で急速に普及した様子を丁寧に追っています(1) 。次に経済学もビッグデータを活用する実証が中心となりつつあることを、開発経済学や労働経済学などで盛んに活用されているランダム化比較試験(RCT)などを例に説明しています。そして実証されたエビデンスに基づく政策立案(EBPM)が求められるようになっており(2)、経済学のデータサイエンス化は避けられないとしています。一方こうした傾向の行き過ぎに警鐘を鳴らし、今後経済学(および経済政策)はどうあるべきかを問うています。

もとより、筆者の問いに答える能力はありません。しかし、①数式を使用せず書かれており読みやすく、②会計学に引き寄せると無形資産(3)や非対称性(4)に通じる部分もあり、興味深い一冊でした。

(1)例えば、「GDPにカウントされるフェイスブックの運営コストと、GDPにカウントされないフェイスブックが創出する幸福(または不幸)の間にはほとんど関係がな」く(p.237)、「こうした新技術を「本当の価値」で評価したら経済成長のペースはもっと加速するだろうか。様々な研究成果を見る限りでは、おそらく答えはノーだという。」(p.238)。

(2)例えば、「日本の経済学会は、研究者が政策に関与し、活躍の場を広げる好機と受け止め、EBPMを推進しようとする行政との連携を強化しつつある。」(pp.262-263)。

(3)例えば、「コンピューターやスマートフォン、機械学習といったイノベーションに満ちたニューエコノミーがもたらす幸福や満足は国内総生産(GDP)では計測できないのではないか、という問いである。」(p.236)。

(4)例えば、「真理の探究を基本とする学術研究と、現実の差し迫った課題に対して対応が求められる政策立案とは、本質的な意味で異な」り(p.285)、「研究者の主眼は研究活動や論文の執筆、行政官の主眼は政策の着実な実行にあり、両者の意識にはそもそもずれがある。」ことから(p.291)、「科学的に見て「効果的な政策」と倫理的に見て「適切な政策」が必ずしも一致しない場合もあるだろう。そこで重要になるのは、科学者・政策担当者・国民間のコミュニケーションだ。」(p.294)。